結果を褒めることの影響:ミュラーとデュエックの研究が示す心理学の本質
褒める行為は、教育や育児、職場において、個人のやる気や自己肯定感を高めるために頻繁に用いられます。
しかし、「褒め方」次第では、褒める行為が逆効果を生むこともあるのです。
1990年代にクラウディア・ミュラー(Claudia Mueller)とキャロル・デュエック(Carol Dweck)が行った画期的な研究は、褒める行為の裏側に潜む心理学的メカニズムを明らかにしました。
この記事では、ミュラーとデュエックの研究内容とその影響を深く掘り下げ、教育や職場での実践への応用可能性を探ります。
さらに、褒め方が長期的な成果や成長に与える影響について、関連する心理学的背景や具体例を交えて解説します。
1 ミュラーとデュエックの研究とは?
① 研究の背景と目的
クラウディア・ミュラーとキャロル・デュエックの研究は、「褒める」という行為の質が子どもの学習やモチベーションにどのような影響を及ぼすかを明らかにする目的で行われました。
これまで、褒める行為は無条件に良い影響をもたらすと考えられてきましたが、彼女たちは「どのように褒めるか」という細部が重要であると考えました。
具体的には、以下の2つの褒め方が子どもに与える影響を比較しました。
結果や才能を褒める: 「君は本当に賢いね」といった、成功の結果や生まれ持った能力を称賛する褒め方。
努力や過程を褒める: 「ここまで頑張ったのは素晴らしい」といった、取り組み方や努力のプロセスに焦点を当てた褒め方。
② 研究の手法
この研究では、8〜12歳の小学生を対象に、3つのステップで調査が行われました。
初期課題の実施: 子どもたちに適度な難易度のパズルを解かせ、その結果に基づいて2つの褒め方(才能を褒める/努力を褒める)を適用。
難易度の異なる課題の提示: 続いて、難しい課題か簡単な課題を選ばせる選択肢を与え、挑戦意欲を観察。
失敗後の反応と次の行動: 難しい課題で失敗した場合の反応や、その後の課題への取り組み姿勢を観察。
③ 主な結果
調査の結果、以下の重要な知見が得られました。
才能を褒められた子どもたち:自分の能力が固定されたものであると捉え、「失敗=自分の無能さ」と考える傾向が強まりました。
難しい課題を避け、簡単な課題を選びがちになり、挑戦意欲が低下しました。
失敗時に自己評価が大幅に下がり、モチベーションを失いやすくなりました。
努力を褒められた子どもたち:能力が努力次第で向上すると考え、挑戦に対して積極的な姿勢を示しました。
難しい課題を選び、失敗を学びの一環として受け入れました。
モチベーションが持続し、成果が長期的に向上しました。
2 固定型思考と成長型思考:理論的背景
①マインドセット理論
ミュラーとデュエックの研究は、キャロル・デュエックの「マインドセット理論(Mindset Theory)」に基づいています。
この理論では、個人の能力や知能に対する信念が行動や成功にどのような影響を与えるかが説明されます。
固定型思考(Fixed Mindset):能力や知能は生まれつき固定されており、変えることができないという信念。失敗を避けようとし、挑戦を恐れる傾向があります。
成長型思考(Growth Mindset):能力や知能は努力や経験によって成長するという信念。失敗を学びの機会と捉え、困難に立ち向かう姿勢が特徴です。
② マインドセットの形成要因
子どものマインドセットは、教育や育児の場での日常的なフィードバックによって形成されます。
「君は賢い」という才能を褒める言葉は、無意識のうちに固定型思考を強化する可能性があります。
一方で、「この部分を工夫したのが良かった」という努力を褒める言葉は、成長型思考を促します。
3 褒め方の具体例と実践への応用
① 教育現場での事例
ある小学校では、成績上位者だけを表彰する文化がありました。
この学校では、生徒たちが成績に固執し、失敗を恐れて挑戦を避ける傾向が強まりました。
これに対し、別の学校では、努力や過程を評価する方針を導入し、生徒たちが失敗を恐れずに難しい課題に取り組むようになり、全体の学力向上に繋がりました。
② 職場での事例
職場でも同様の傾向が見られます。
営業成績だけを評価する企業では、社員が短期的な結果を優先し、リスクのある新規事業を避けるようになります。
一方、努力や挑戦を評価する企業では、社員が創造的なアイデアを提案しやすくなり、組織の成長が促進されます。
③ 育児における実践
育児の場面では、子どもの結果を褒めるのではなく、努力を認めることが重要です。
たとえば、「テストで100点を取ったね」ではなく、「一生懸命勉強したから成果が出たね」と声をかけることで、子どもは努力の重要性を学ぶことができます。
4 ミュラーとデュエックの研究の意義
ミュラーとデュエックの研究は、「褒めること」が単なるモチベーションアップの手段ではなく、その方法次第で個人の成長や成功に大きな影響を与えることを示しました。
この知見は、教育や育児、職場の評価制度を見直すきっかけとなっています。
特に重要なのは、短期的な成果を追い求めるのではなく、長期的な成長を促す褒め方を選ぶことです。
これにより、失敗を恐れず挑戦し続ける姿勢が育まれ、個人と組織の持続的な成長が可能になります。
5 ミュラーとデュエックの研究が示す社会的影響
ミュラーとデュエックの研究は、教育や心理学の枠を超えて、社会全体に広がる「褒め方の文化」に関する議論を呼び起こしました。
この研究が特に注目された理由は、成功や失敗へのアプローチが人々の生き方や社会のあり方にまで影響を及ぼす可能性を示した点にあります。
① 教育現場での影響
教育現場では、長らく成績や成果を基準にした評価が主流でした。
しかし、この研究の結果を受け、多くの学校が「努力を評価する教育」への転換を試みました。
たとえば、生徒の学習態度やプロセスに焦点を当て、結果だけではなく過程を重視するフィードバックを導入する動きが見られます。
具体例:成績表に「努力が見られる」「課題への取り組み方が積極的」といったコメント欄を設ける。
期待される効果:生徒が失敗を恐れず、新たな挑戦をする意欲を持つようになる。
② 職場環境への波及
職場においても、「結果主義」から「プロセス重視」へのシフトが注目されるようになりました。
特に成果主義が強調される企業文化では、結果を出せない人材は排除される傾向がありましたが、プロセスや努力を評価する視点を取り入れることで、社員の心理的安全性や成長意欲が高まるケースが報告されています。
例:プロジェクトの成功だけでなく、プロジェクトを推進するための創意工夫や困難を乗り越える努力を評価する仕組み。
③ 家庭教育への影響
親が子どもを育てる際の褒め方にも、この研究が大きな影響を与えました。
「あなたは頭がいいね」という褒め言葉が子どもの固定型思考を助長する可能性が指摘され、代わりに「よく頑張ったね」「工夫して取り組んだね」というプロセスを褒める姿勢が推奨されるようになりました。
課題:ただし、親自身が結果主義的な価値観に縛られている場合、この転換は容易ではありません。
6 成長型思考を育むための具体的手法
ミュラーとデュエックの研究を日常生活や組織運営に取り入れるためには、どのような手法が有効なのでしょうか。
以下に具体例を挙げながら考察します。
① フィードバックの工夫
成長型思考を促進するためには、結果ではなく努力や工夫に焦点を当てたフィードバックを行うことが重要です。
固定型思考を助長するフィードバック:「君はこの仕事に向いているね。」
成長型思考を促進するフィードバック:「この困難な課題を解決するために考えた方法が素晴らしい。」
② 目標設定の再構築
結果だけを目指す目標ではなく、挑戦を通じた成長を目指す目標を設定することも重要です。
たとえば、試験で90点を取ることを目標にするのではなく、「新しい勉強法を試して、学びの幅を広げる」ことを目標にするのです。
③ 挑戦する文化の醸成
組織や家庭において、失敗が許容される環境を整えることが不可欠です。
挑戦には失敗がつきものであり、その失敗を成長の一部として受け入れる姿勢を示すことが求められます。
7 「結果を褒める文化」のリスク
一方で、「結果を褒める文化」がどのような弊害をもたらすかも明確に理解しておく必要があります。
① 短期的成功への執着
結果を褒める文化では、短期的な成功に固執するあまり、長期的な成長が損なわれる可能性があります。
たとえば、早く結果を出すためにリスクを避け、安全な道を選ぶ傾向が強まることがあります。
② 精神的負担の増大
結果だけを求められる環境では、失敗した際の心理的負担が大きくなります。
結果として、ストレスや不安が増加し、自己効力感が低下することがあります。
8 結果を褒める文化から努力を褒める文化への転換
結果を褒める文化から努力を褒める文化への転換は、簡単なプロセスではありませんが、多くのメリットをもたらします。
この転換を進める際には、以下のポイントを押さえることが重要です。
① 意識改革
まず、組織や家庭の中で「努力や過程を評価する」という価値観を共有することが必要です。
そのためには、リーダーや親が率先して模範を示す必要があります。
② 評価基準の見直し
評価基準を結果重視からプロセス重視に変更することで、努力や創意工夫が報われる環境を作ります。
③ 継続的な学び
努力を褒める文化を定着させるためには、定期的に学び合う場を設け、成功事例や課題を共有することが有効です。
9 努力を褒める文化の具体的な実践例
努力を褒める文化への転換を成功させるためには、日常のあらゆる場面でそれを実践する必要があります。
以下に、さまざまな場面での具体例を挙げて説明します。
① 教育の場での実践
教育現場では、教師が子どもたちに対してどのような声かけをするかが極めて重要です。
たとえば、次のようなアプローチが考えられます。
質問を促す指導:子どもたちが学びの過程で抱いた疑問を積極的に質問できるよう促します。質問に対して「よく気づいたね」とフィードバックを与えることで、探求心を育てます。
課題解決の努力を評価:「この問題に対してどんな方法を試したの?」と尋ね、試行錯誤のプロセスを具体的に褒めることで、課題解決力を伸ばします。
② 職場での実践
職場環境でも、成果だけでなく努力を評価する文化を築くことが可能です。
これには、以下のような取り組みが含まれます。
プロセス共有の場の設定:定期的な会議やレビューセッションで、個人やチームが取り組んだ過程を発表する場を設けます。「成功」に至るまでの試行錯誤を共有することで、他者の成長を認識できる環境を作ります。
失敗をポジティブに捉える文化:ミスや失敗が発生した際、それを非難するのではなく「この経験から学んだことは何?」と問いかけます。失敗を成長の一部として評価する姿勢を示すことが大切です。
③ 家庭での実践
親が子どもと接する場面では、結果だけでなく努力を褒めることが、子どもの成長型思考の基盤となります。
努力の結果に焦点を当てる:テストで高得点を取った場合、「たくさん練習したからだね」と練習過程に言及します。
失敗を一緒に考える:失敗した場合でも、「次はどんな方法を試してみる?」と質問し、解決策を考えるプロセスを手助けします。
10 固定型思考と成長型思考のバランスを考える
努力を褒める文化が有効である一方で、固定型思考も完全に排除すべきではないという議論も存在します。
人は本能的に成果や結果を求める傾向があるため、これを全く無視するのは現実的ではありません。
① 固定型思考の役割
固定型思考には、次のような役割があるとされています。
短期的な成果の達成:明確な結果が求められる場面では、固定型思考がモチベーションを高めることがあります。たとえば、試験やプレゼンテーションの場では、成果を目指して集中力を高めることが有効です。
基準の設定:固定型思考に基づく基準は、目標設定の指針となる場合があります。これにより、成長型思考が単に「努力すればよい」という曖昧さに陥らず、具体的な方向性を持つことができます。
② 両者を統合するアプローチ
理想的なのは、固定型思考と成長型思考をバランスよく取り入れることです。
固定型思考を補完する成長型思考:固定型思考で設定された目標を達成するために、努力と成長のプロセスを重視する姿勢を加えます。
成長型思考を支える固定型思考:成長のプロセスが成果につながるよう、適切なタイミングで目標を設定し、それを達成する喜びを感じられる仕組みを作ります。
11 ミュラーとデュエックの研究が示す未来への展望
ミュラーとデュエックの研究は、単なる教育理論に留まらず、社会のさまざまな場面に応用できる普遍的な原則を提供しています。
以下に、これが未来にどのように役立つかを考察します。
① 持続可能な社会の構築
成長型思考を促進する文化は、持続可能な社会の基盤となる可能性があります。
個人や組織が長期的な視点で物事を捉え、試行錯誤を繰り返すことで、新たな価値が生まれる可能性が高まります。
② 多様性の尊重
成長型思考は、他者の多様な背景や能力を尊重する姿勢を育てます。
結果だけを評価する文化では埋もれてしまう創意工夫や独自のアイデアが、成長型思考によって光を浴びることができます。
③ 個人の幸福感の向上
プロセスを評価する文化は、個人が自己肯定感を得やすい環境を作ります。
努力が認められることで、他者との比較ではなく、自分自身の成長に焦点を当てることができます。
12 結論
ミュラーとデュエックの研究は、褒め方の重要性を再認識させるだけでなく、それが個人や組織、社会全体に及ぼす影響を具体的に示しました。
「努力を褒める」文化は、固定型思考に縛られた社会において、挑戦することの価値を取り戻すきっかけとなります。
今後、教育、職場、家庭などあらゆる場面でこの原則が実践されることで、より多様で創造的な未来が切り開かれることが期待されます。